死別を経験された方へ結婚相談所としてお伝えしたい事

夫・妻・配偶者との死別を経験された方へ

人生のストレスの中で最大のものが配偶者の死だと言います。

私自身も、それを経験しています。

パートナーとの死別を経験された皆さんと同じように、絶望の日々を過ごしてきました。

現在は、すっかり元気に前向きになれたかと言えるかというと、残念ながらそうではありません。

日々が過ぎても悲しみそのものは消えることはありません。

きっと、この先もこの悲しみが消えることはないのだと思います。

死別を経験した私に、多くの方が慰め励ましの言葉をかけてくれました。

暖かく、優しい、善意にあふれた言葉でした。

しかし、ささくれ立った私の心には

神様は乗り越えられる苦難しか与えない。

とか

時が全てを癒す。

などの、励ましや慰めの言葉で癒されることはありませんでした。

そしてある意味、

世間も残酷な要求してきます。

配偶者を亡くした人に対して、亡くなった配偶者へ操を立て続ける事を暗に要求したりするのです。

今後、他の人を愛する事などせずに一生、亡くなった配偶者を想い続ける。

一生可哀そうな寡夫寡婦であれ。

と配偶者をなくした人間が死別を乗り越え新たな幸せを求める事、亡くなった配偶者に対しての裏切りであるような空気が世間で流れているのです。

殉死が正しい生き方だとでもいうように・・・

死別が教えてくれたこと。

死別からの時間は、1人だけで暗闇の中を生きているように感じていました。

希望も夢も何もない中を、ただ息をしているように感じて過ごしていました。

しかし、

今は少し違うんですね。

今は

悲しみから立ち直ったわけではなく、悲しみは悲しみとしてあるのですが、

それと共に、時に笑い 楽しみを見つけ、前を向いて生きて行けるように感じています。

それは、

結婚相談所を営んでいる私に、多くの会員様がその生き方をもって教えてくれたのです。

大きな悲しみを抱えながらも、

前向きに新たな幸せを見つけていかれた多くの会員様たちが、その生き方で教えてくれたように思うのです。

配偶者と死別したという悲しみは

風邪が治るように、傷の痛みが取れるようには、元に戻る事はありません。

右手を失う

左目を失う

と言ったように、失ったものは元には戻りません。

しかし、

右手を失っても、視力、聴力を失っても、人はその中で幸せを手にできるのだと

多くの会員様の生き方に、教えてもらったのです。

死別の悲しみと自身の幸せ


悲しみを背負いながら、前向きに生きる会員様に

悲しみと、幸せを併せ持つことは出来ると教えてもらったのです。

絶望の日々の中で

唯一、私に希望を与えてくれた言葉があります。

それは

生き残った人は幸せになる義務がある。

という言葉でした。

悲しみは

消えることはありませんが、それでも人は幸せになる義務があります。

そう信じて生きる事

それしかないように思うのです。

寂しさを抱えながらも、幸せに生きるしかないように思うんですね。

40歳以上の死別経験者は、国勢調査によると全国に約1000万人となり、約8割が寿命の長い女性になります。

意外と多いと思いませんか?

最近では、死別経験者を離婚経験者の「バツイチ」になぞらえ、「没イチ」と前向きな意味を込めて呼ぶそうです。

 

悲しみと共に新たな幸せを考え始めた、前向きになれるかもしれない。そう思われた方は是非ご相談ください。

新たな幸せを考えているが、まだ前向きになれないという方も話の相手にはなります。

ご相談ください。

没イチ

配偶者と死別した方を“没イチ”と呼ぶ事が増えています。第一生命経済研究所の小谷みどり氏が主宰する「没イチ会」によって名付けられたそうです。亡くなった配偶者の分も元気に生きるという願いを込めて、離婚経験者を「バツイチ」と呼ぶことを真似て「没イチ」と前向きに命名したようです。