くだらない幸せ

クリスマスや正月などを家で祝う場合、ちょっとだけ贅沢な食材を買ったりします。

黒毛和牛のステーキ肉とか、大間の大トロとかです。(近所のスーパーで買うレベルですけどね)

子供が2人いるので、家族4人だと私の食べる分は全体の4分の1 もしくはそれ以下になります。美味しいものを食べすぎるのは健康にも良くないのでしょうが、遠慮なく食べる子供たちのせいで、私はちょっと物足りなかったりもします。

だからと言って、1人で食べようとも思いません。

高級食材を家で食べるときは、高々と名乗りを上げます。

私「おのおの方!!控えおろう!こちらに鎮座ましますお方をどなたと心得る!黒毛和牛ステーキ様であらせられるぞ!頭が高ーい!」

女房子供「ははー!恐れ入りましてござりまするー!」

私「よかろう。心して黒毛和牛様を頂くのだぞ」

女房子供「へへー!ありがたきことでござりまするー!」

私「うむ殊勝な心がけ、ではこれより、黒毛様には焼かれて頂くことにする」

女房子供「もったいなきことでござりまするー!なんまんだ なんまんだ」

等と言う間抜けな掛け合いに小さな幸せを感じたりするんです。

美味しいものを食べると言う部分の喜びよりも、それを食べる空気がより好きなんですね。

何かを失って、何かを得る。 結婚とか家族とかはつくづくそういうもんだと思います。

私は本来食べる予定だった黒毛和牛5切れ分くらい失って、くだらない掛け合いを得たのです。

ただ、女房は、その掛け合いよりも食べる事そのものの方がはるかに好きらしく、私が大好きなこの掛け合いをもう1回しようとすると

「いいから、早く焼け!」

などと私の幸せをぶち壊すのです。